映画 : 帰還

Le Retour

フランス映画祭が横浜に帰って来た。このフェスティバルは、やっぱりこの街がお似合いだ。

リベンジ
これが映画ならそのタイトルは『フランス人の帰還』、あるいは『フェスティバルのリベンジ』といったところか。12年間という長い空白期間を置いて、この春フランス映画祭が横浜に帰って来た。でも本当はどこにも行っていなかったのではないか。「日本人にとってこのイベントはいつも横浜とつながっていました」。ユニフランスや大使館、横浜市、そしてスポンサーの日産自動車とともにこの素晴らしいカムバックをお膳立てしたフランス大使館映像・音楽担当官のヌールディン・エサディ氏はこのように語った。
ではここで2006年に「フラッシュバック」してみよう。当時、フランス映画祭横浜は(メキシコのアカプルコ映画祭と並び)外国におけるフランス映画の代表的なPRイベントとなっていた。伝説的プロデューサーでユニフランス会長を務める熱血漢、ダニエル・トスカン・デュ・プランティエは、期待に目を輝かせる日本の大観衆を前にフランス映画界の錚々たる才能を紹介した。フランスの業界人は、カンヌ映画祭の熱狂から3週間後に、彼らにとってみれば非日常的なこの魅力あふれる国で開催された、このコンペティション部門をもたない映画祭を大いに楽しんだ。当時の横浜市長で国政期待の星、中田宏氏との関係も極めて良好だった。
しかしユニフランス会長にマルガレート・メネゴスが就任すると状況は一変する。彼女はユニフランス(イコールその有料会員)の負担経費が不当に高いとする、映画祭への数多くの批判を真に受けてしまい、東京の中心部に次々と姿を現していたシネマコンプレックスへの映画祭の移転を唐突に決定する。市長への根回しなどもなく、関係悪化は必然だった。当時を知る関係者はこう語る。「要するに市長は私たちにこう言い放ったのです、二度と横浜に戻って来るな、と」。

和解
ダニエル・トスカン・デュ・プランティエは彼らしい挑発的なセンスを交えながらこのように説明していた。「横浜は瓦礫の上に築かれた街。海に向かって広がる領土です。東京ではなくこんな街でこそ、この素晴らしい映画祭を開催する意味があるのです!」。映画ファンも同じ意見だった。多くの誘惑やイベントが目白押しの東京では、この映画祭もそんな中に埋もれて目立たなくなってしまう、と。
横浜の影は常に付きまとう。この活気溢れる国際都市横浜で新たに市長の座に就いた林文子氏はティエリー・ダナ前フランス大使に直訴し、面会の席でこう打ち明けたという。「あれはとにかく素晴らしいイベントでした……」。 これを受けて大使が動いた。本社を横浜に移転した日産自動車に話を持ちかけ、同社はイベントのスポンサーに就任。バトンは後任のローラン・ピック大使に受け継がれる。そしてユニフランスは今回の華々しい帰還に際し、ナタリー・バイ率いる豪華使節団を来日させた。2018年の映画祭開催に向け組まれた予算は40万ユーロに及び、この度の帰還は大成功を収めた。チケットは24時間で完売、メディアでも大きく取り上げられた。市長は週末に2本の映画を鑑賞し、映画製作会社「ゴーモン」の展覧会にも足を運ぶなど、フェスティバルでその 存在感を存分に示した。
今後も大規模な展開が見込まれている。フランス映画にとって日本は昔からアジア最大の市場であり、2017年には60本を超える作品が上映され (外国映画の総数は533作品)、観客123万人を動員した。日仏業界間の交流も増えている。1997 年以来となる日本人監督のパルムドール受賞というニュースも、こうした接近を象徴する出来事だと言えよう。映画、万歳!

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