二国を結ぶ庭園

シャネルが始動するユニークな企画に新宿とヴェルサイユが協力

震災後
最初の出会いから100年が経った今、ヴェルサイユ宮殿の庭園と東京の新宿御苑が再会を果たす。ヴェルサイユ宮殿のカトリーヌ・ペガール総裁は、2012年3月に調印された共同事業を推進するため11月末日本に滞在した。旗ふり役は?シャネルである。2011年3月11日の震災の後、シャネルの有名デザイナー、カール・ラガーフェルドは今までにない方法で哀悼の意を表明しようとした。シャネルのオートクチュールコレクションを日本で行おうとしたのである。前例のないコレクションをどこで開催すればいいのか…シャネル日本法人社長リシャール・コラスは、東京の新宿御苑を思いつく。「日本側にとっても、前例のない努力が払われるになるかもしれない。」政府主催の伝統的な「ガーデン・パーティ」を除けば、民間イベントのためにこの庭園が用いられたことは一度もなかったからだ。その時、リシャール・コラスは御苑内の一角にあるフランス式庭園に注目した。そしてこの庭園が、明治天皇の造園家であった福羽逸人と、ヴェルサイユの最も名高い造園家の一人、アンリ・マルチネの出会いから生まれたものであることを発見した。福羽逸人は、1900年の万博の際にパリを訪れ、フランス式庭園の技法を発見した。彼は、当時のエミール・ルベ仏大統領への土産物として菊を持参した。ヴェルサイユで、彼はアンリ・マルチネに庭の設計をしてほしいと頼み、新宿御苑でマルチネが描いた庭を細心綿密に再現したのである。ただ原案にはヴェルサイユ宮殿に模した城が含まれていたが、経済的な理由で実現されることはなかった。
一世紀を経た今、ヴェルサイユと新宿を再び結びつけようとリシャール・コラスは、日本側に提案した。彼は双方の同意を得て、新宿御苑の責任者である日本の環境庁とヴェルサイユ宮殿のカトリーヌ・ペガール総裁との会合を組んだ。日本側は、非常に関心を持ち、それは思いもよらないすばらしい機会であると考えた。それほどヴェルサイユは、日本で名高い庭園なのだ。毎年ヴェルサイユ宮殿を訪れる750万人の観光客のうち、日本人の割合は4%。ペガール総裁にとって、この計画はその世界的な名声にもかかわらず今なお宮殿の「城壁」に囲われたままのヴェルサイユのノウハウを世界に知らせるためのチャンスだった。2012年3月22日、カール・ラガーフェルドは新宿御苑でオートクチュールコレクションを行った。その翌日、3年の相互協力に関する合意書に調印がなされた。フランス側は、日本の庭園を「改修する」ための専門的な技術を提供し、そのお返しに、日本の造園家たちが、2014年秋の特別展に際して、彼らの育てた最も美しい菊の花(それは天皇家の花である)をヴェルサイユに持って行くというものである。

思いがけない庭園の変貌
100年後の今、御苑の「フランス式庭園」は最初の作り手たちの手から離れてしまった。この庭園は、日本人にとても知られているがひとつ誤りがある。というのは、それがフランス式庭園であると勘違いしているからだ。フランスの造園家たちは、その庭園はフランス式ではないと言うだろう。実のところ、庭園は時間の経過とともに「日本化」されてしまったからである。「最初ヴェルサイユの造園家たちは、そこにヴェルサイユの痕跡があると信じていましたが、見つけることはできませんでした」。11月末にヴェルサイユの遺産管理局長ダニエル・サンチョとともに東京を訪れた際、カトリーヌ・ペガールはこう語った。菊もまた、この誤解のシンボルである。「それは侍たちが栽培していた花です。この花は、侍たちに忍耐の美徳を教えていたのです」とリシャール・コラスは説明する。しかしフランスでは、第一次世界大戦後、菊は死を意味する花となってしまった。
このような組み合わせはうまくいくのだろうか。日本側はフランスの野心的な試みを慎重に見つめている。「庭園を初めの状態に戻さなければならないのか。それとも現状のままにしておくべきなのか。いずれにせよ、この計画はわれわれの専門技術を示す機会となるでしょう」と、カトリーヌ・ペガールは満足げに語る。「日本とフランスの造園家たちの間に友情の絆が築かれました。彼らは一緒に仕事をすることを望んでいるのです」と断言するのは、フランスから派遣された代表団のひとりだ。いずれにせよヴェルサイユ宮殿は2015年、日本以上に日本風になるだろう。カトリーヌ・ペガールは、この年に横浜在住の韓国人芸術家リー・ウーファンを招聘することに決めたからだ。

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