ファースト・オブ・モヒカン

[Translate to Japonais:] Le premier des mohicans

音楽プロデューサー、オーガニック・ワイン輸入商を経て、現在はブドウ栽培農家。そんな情熱あふれる人物を紹介しよう。

シュヴァリエ騎士

レジオンドヌールの無名シュヴァリエ騎士――日本に腰を据えて活動するフ ランス人の顔として、フランソワ・デュマ以上の適任者を見つけるのは難し い。学生時代には建築を学び、その後プロデューサーとして幅広いジャンル のコンサート(カッサヴ、セルジュ・ゲンスブール、シャルル・トレネなど)を手 がけた彼は今、長野県小布施町(日本の西部)でブドウ栽培に励んでいる。若 き日々から続く自然との関わりへの情熱が、今度はこんな形で花開いたわ けだ。「今年は初めての収穫を迎えます」と、日本のオーガニック・ワイン通 の溜まり場、浅草のレストラン『LA MAISON DU一升VIN(ラメゾンドいっし ょうビン)』の片隅で 彼は嬉しそうに語った。白と赤を1樽ずつ、ボトル換算 ではそれぞれ300本が生産される予定だ。幾年にもわたる研究とテストの 結果が今、実を結ぼうとしている。

フランソワ・デュマと日本のブドウ栽培との関わりは昨日 今日に始まったことではない。2005年、彼はやる気に満ち た日本のブドウ栽培業者数名――曽我貴彦(ドメーヌ  タカヒコ、余市町登地区)、佐々木賢(農楽蔵、函館)、中島 豊(ドメーヌ ナカジマ)、ブルース・ガットラヴ(10Rワイナ リー)――を引き連れて、シャンパーニュやロワール、そし て南西地方のワインづくりを学ぶフランスツアーを企画し た。参加者はいわば「ワイン漬け」になって帰国し、すぐに もオーガニック(のブドウ栽培)に軸足を移すことに。以来、 日本におけるオーガニック・ワインの造り手たちの間には 強い絆が生まれた。

 

山梨

日本におけるブドウ栽培発祥の地といえば、富士山麓に位 置する山梨県がまず思い浮かぶ。風光明媚なこの地では 近年ブドウ栽培が飛躍的な発展を遂げているが、フランソ ワ・デュマが選んだのは長野県の小布施町だった。彼によ れば、日本におけるワインづくり幕開けの地を山梨に求め たのは素人考えに基づく過ちだったという。「150年前、横 浜から日本に初めて上陸した外国人たちの移動手段は馬 で、フランスからワインが届くのに半年も待たねばなりませ んでした。彼らはおそらく富士山麓に広がる国内のブドウ品種「甲州」の畑を 目にしたのでしょう。そしてこの地でワインづくりができると考えたのです」。 しかし地元のブドウ品種「甲州」を使用したワインづくりは、彼に言わせれば 農業的観点から見て邪道だという。「あれは食用ブドウですから、どうやって も高級ワイン醸造には向かないのです。搾って得られるのは果汁というより むしろピュレですから」と説明する同氏の表情からは残念そうな気持ちが伝 わってくる。ピノ・ノワール種の有名なクローン「ディジョン777」を日本の環 境に適合させようとした栽培農家もいたが、こちらも失敗に終わった。一方 フランソワ・デュマが使用したのは、彼自身が長野の気候条件に適合すると 考えたピレネー地方の品種プティ・マンサンとタナだった。

ここ日本ではまさにワイン用ブドウ栽培のブームが到来し、サントリーやメ ルシャンなどのワイン・蒸留酒造大手も国内でブドウ栽培を始めている。 ただしこの事業部門はまだまだ未成熟だ。「長い目で見て、日本国内のど の地域がブドウ栽培に適しているのか、まだよくわからないのです」とフラ ンソワ・デュマは語る。開国から150年、日本のワインは今なお暗中模索の 状態にあるようだ。しかしフランソワ・デュマはこうも述べている。「シトー 会の修道士も、満足できるワインをつくれるようになるまでに300年かかっ たんですから」CY

 

 

このページをシェアする Share on FacebookShare on TwitterShare on Linkedin