日本での、初めての食事

François Simon

それは朝食だった。旅行はすでに始まってい て、脳のニューロンは稼働しっぱなし、身体は憔悴しきってい た。でも、発熱とか、身体がだるくなるような感覚ではなく、知 覚が絶えず移動し、自分を組み立て直しているような感じだ った。何かにヴェールがかけられ、はっきりと見えなかった り聞こえなかったりする。物事が、逆さまで現実味を伴わず、 今までとは異なった性質のもとに現れる。朝食が運ばれてき た時、ぼくは時差ぼけのせいで、ちょうど眠くなってきたところ だった。初めての日本旅行で、何も理解できず、表現する言葉 を失っていた。疾走する街に到着し、体験をじっくり思い返す 暇もなく、考えの物差しも持たず。ただ一つはっきりしていた のは、宿泊していたのが、自分のお気に入りの音楽グループ (ビートルズ)も逗留したという東急ホテルだということだけ。 同じエレベーターに乗り、もしかしたら同じベッドで寝たかも しれないって思うこと。同じ窓を通して街を眺め、少しタバコ 臭いカーペット、イグサの匂いを嗅ぐこと。

朝食はワゴンに運ばれてやってきた。皿やカップ、ソーサー同 士がわずかにぶつかるカチカチという、人を安心させる音を させて。そこには、湯気を立てている、様々な芳香を漂わせる 料理があった。漆の黒、ブロンド色、青みがかった白、グレー の様々なニュアンスが目に入ってきた。アクセントに時折赤 色が入る。水の波紋のように円が重なる。どこからこの地が 始まっているのか、パラダイスが始まっているのかわからな い石蹴り遊び。どんな風に食べたらいいのか皆目見当がつか ず、直感で箸や口を動かし、触ってみる。虎がその下に隠れて たらどうしようって思いながら、お椀の蓋を恐る恐る持ち上げ ること。動揺し、子供時代に戻ること。どこから食べ始めたら いいの? 温かいものから、それとも冷たい料理から? 生 暖かい料理の様子を探り、アツアツの一品を吹いて冷まし、 柔らかくモチモチの食材にそっと触れてみようか? 野菜を 一口かじり、その歯ごたえに安堵し、舌は滑らかな食感に癒 される。相変わらず混乱は続いているけど、すぐに食欲がほ とばしり、好みの味を要求する。ガタガタしたアプローチ。作 法を知らない者がやりたい放題、安定したことがらなど何一 つない。謎に立ち戻り、理解できなくてすごすごと尾っぽを巻 いて逃げ出す。ピンボールマシンの玉のように、バンパーに 打ち出され、鐘を鳴らし、ターゲットに当たる。その朝食は、ど れほど自分を揺さぶったことだろう。ぼくの頭はそれ以降、良 い習慣をすぐに身につけた。何かを把握することは諦め、本能 の声に従い、あまり考えすぎることはせず、食べる喜びに従う、 それがシンプルな喜びであったとしても。最初の文字を書き、 道のりをつけようとすること。少なくとも、その、最初の旅行の 朝食のことを思い出してみようとすること。その初めての経験 は、素晴らしい、そしてそのあと長く続くことになる諦念の始 まりだった。何もかもを会得し、物事に決まりきった表現を貼 り付け、主題そのものよりもっと力強く考えてしまおうとする のを諦めること。そんな風にして、わたしは何年もかけて、自 分を構築してきたものをほぐし、自らが小さな玉になり、書 かれた円、最後には一つの点になった。まるで、よりよく消え 去ってしまおうとするかのように、何かと結ばれることで自 由に動こうとするかのように。ものごとを無理やり開陳しよう としないで、耳を傾け、その中に入り込み、植物の茂み、風景 に吸い込まれる。お米の雲、サクランボの、お尻のような丸 み。その初めての朝食は自分が持っていた思い込みや、一つ の考えの中に閉じこもっていた態度を少しずつ変えていき、 先達も、先入観もないまま新しい光景の中に自分を導いてく れたのだと思う。開かれた夢の一種のように。それは魂の平 安なのだ。フランソワ・シモン

 

 

このページをシェアする Share on FacebookShare on TwitterShare on Linkedin