商工会議所: アルザスを旗印に

日本と仏アルザス地方の長きにわたる友好関係を祝う2013年在日フランス商工会議所ガラ・パーティーが開催

150年にわたる友好関係
2013年、CCIFJ主催ガラ・パーティーの主役はアルザス地方である。ミシュランの3つ星レストラン、オーベルジュ・ド・リルのシェフ、マルク・エーベルラン氏が、オリジナルな創作料理で来場者をもてなす。またエンターテインメントとして、アルザス地方のコルマール出身の指揮者フィリップ・ベルノルド氏率いるパリ国立高等音楽院出身の音楽家が、フランスの著名な作曲家の楽曲を演奏する。
アルザスは日本人にとって特別な場所である。「日本人にとって、アルザス地方は、フランスの創造性とドイツの規律が交わる場所。」と語るのは、フランスに5年間駐在経験のある日本能率協会コンサルティング、泉本保彦氏。アルザス・ 欧州日本学研究所(CEEJA)のアンドレ・クライン所長は、日本とアルザス地方との間に育まれてきた豊かな関係を振り返り、次のように述べる。「黒船来航に伴う開国や明治維新を経て、両者の間には日本主導で交易関係が構築されました。当時アルザス地方は、生地へのプリント技術で欧州トップレベルの地位にありました。このノウハウを耳にした日本(特に関西地方)の企業経営者たちが同地方の企業と交流を開始、日本における近代繊維産業の台頭に先立ち、国内向けのプリント生地製造に乗り出します。これを機に、経済だけではなく芸術やデザイン分野においても数多くの交流が生まれました。時には、生地にプリントを行うため、デッサンが日本からアルザスに持ち込まれることもあったのです。」
20世紀の日本がアジアにおける欧州思想の中継地であったように、アルザス地方は日本にとって欧州への主要な入口の1つだった。19世紀末、多数の日本人学生がストラスブール大学に留学し、1925年には当時皇太子だった昭和天皇もこの地方を訪れた。「アルザス地方は日本様式が欧州に持ち込まれる最初の輸入ルートの1つでした。その後こうした日本様式は、印象主義やアール・ヌーヴォーを通じて欧州の芸術に大きな影響を与えます。このように生まれた日本との出会いが、アルザス地方に大きな日本ブームをもたらしました。現在もこの地方の美術館には日本芸術の充実したコレクションが残されています。」とアンドレ・クライン所長は述べている。

アルザス、日本向けの地方
今日、日本はアルザスの経済にとって重要な役割を果たしている。特に1980年代の黄金期には、日本の大企業がこぞってアルザスに進出した。フランス観光開発機構(アトゥーフランス)によると、アルザスにおける日本企業の雇用者数は現在2,700人を数え、フランス第5位の日本企業受け入れ先となっている。同地域圏内に居住する日本人は約600人。「経済危機の影響で、在仏日本人の数は伸び悩んでいます。ですが、日本企業が撤退したわけではありません」とアンドレ・クライン所長は指摘する。AFII(対仏投資庁)によると、アルザス地方に進出している日本企業は24社。雇用者数ではリコーが他を大きく引き離して1,119人。「アルザス地方は、日本人観光客の人気観光地でもある」と述べるのはフランス観光開発機構在日代表フレデリック・メイエール氏だ。(実は彼もアルザス出身である...)「ライン川クルーズに関心をもつ日本人が増えており、景観の美しさとその独自性が彼等の心を掴んでいるようです。 その他にも鉄道博物館や自動車博物館、さらにはミュルーズのプリント生地博物館など、一味違う観光スポットも注目されています。都市の観光も魅力的ですが、ワイン街道や絵の中から抜け出たような田舎の風景も日本人に大人気です。」2012年にアルザス地方を訪れた日本人観光客の宿泊数は実に43,000泊に達し、これはアジア人観光客中トップの数字だ。テレビドラマ『アルザスの青い空』の成功、ストラスブール=パリ間を2時間20分で結ぶTGVの開通、そしてアルザス地方観光行政当局の働きかけにより、この地方に関心を持つ旅行会社が増えている。
フレデリック・メイエール氏の次なる作戦はこうだ。「あとは日本に住むアルザス地方出身者たちが、一致団結してPRに取り組むことです。知人の同郷者たちと力を合わせ、まずは東京から始めます。多くの分野にわたるアルザスの手工業とその技術、美しい自然やハイキング、名物スイーツのルーツ探しなど、まだまだ日本人観光客の興味を引くものはたくさんあります。」 

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