Itinéraires singuliers - 世界最高峰F1から国政へ──山本左近氏が語る、挑戦の原点と日本の未来

世界最高峰のモータースポーツという極限の舞台から、国政の場へ──。その唯一無二のキャリアは、10歳という幼い頃のある「決断」から始まっていました。
今回のポッドキャスト「Itinéraires Singuliers」では、元F1ドライバーであり、前衆議院議員の山本左近氏を迎え、その唯一無二の歩みをひも解きました。
愛知県豊橋市に生まれた山本氏がレースの世界を志したのは10歳の頃でした。当時目にした雑誌の記事には、「12歳以降にレースを始めてF1ドライバーになれる確率は0.1%以下」という現実が記されていました。「時間がない」と直感した少年は、自ら鈴鹿サーキットのレーシングスクールに応募します。家族の反対を受けながらも理解を求め、条件付きでレース人生をスタートさせました。
当時彼の憧れの存在はアイルトン・セナ。しかし、1994年の突然の訃報をきっかけに、山本氏の目標は「誰かになること」から「自分自身に勝ち続けること」へと変わります。14歳のときに先輩レーサーから受け取った年賀状に記されていた
「人間は、自己実現不可能な夢は思い描かない」
という言葉は、今も座右の銘として彼を支えています。
2006年、山本氏はF1ドライバーとしてデビューを果たします。特に印象深いのは、母国・鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリでした。オールジャパン体制のスーパーアグリF1チームで走ったそのレースでは、コースのどこを見渡しても観客で埋め尽くされていたといいます。また、同年最終戦のブラジルGPでは、4年落ちのマシンという厳しい条件の中でベストパフォーマンスを発揮し、チーム全体が一体となって喜びを分かち合いました。
F1は個人競技でありながら、極めて高度なチームスポーツです。エンジニアやスタッフとの対話、文化や価値観の異なる環境での協働を通じ、山本氏が学んだのは「コミュニケーションを諦めないこと」でした。失敗を責めるのではなく、そこから何を学ぶかを重視する姿勢は、その後の人生にも深く根付いていきます。
長年にわたる海外生活の中で、山本氏は日本人であること、日本の存在感について強く意識するようになります。かつて世界を席巻していた日本企業の看板が海外から姿を消していく現実を目の当たりにし、「日本をもう一度、世界で輝かせたい」という思いが芽生えました。その思いが、政治の道へ進む決意へとつながります。
政治家としては、国際経験を生かした外交や交渉、そして合成燃料をはじめとする政策提言に取り組んできました。理解されにくいテーマであっても粘り強く訴え続け、仲間を巻き込み、実際の成果へと結びつけてきた姿勢は、F1時代と変わりません。
山本氏が目指すのは、「日本に生まれてよかった」と誰もが思える社会です。防災・減災、医療や福祉といった命と生活を守る分野に力を注ぎながら、次世代へと続く未来を描いています。
世界で戦ってきた経験を生かし、日本と世界をつなぐ架け橋となること。
山本左近氏の挑戦は、今も続いています。
協賛:京都市
京都市は、海外企業の京都進出をサポートしています。
このポッドキャストは佐藤友香との協力により制作されています。
