いつか、彼らが勝つときがくると信じて

輝かしい勝利への一歩だった。6月13日、日仏のジャーナリストはトヨタから勝利に酔いしれた長いプレスリリースを受け取った。トヨタチームが、第82回ルマン24時間耐久レースのポールポジション*から発進をすることになったというものであった。日本人ドライバーである中島一貴がポールポジションを獲得したのは初めてであるが、これはトヨタにとってモータースポーツの足跡を刻む記念碑的な出来事であった。ドライバーはトヨタがいうところの「モータースポーツで最も進んだハイブリッド技術」を代表する車、TS040ハイブリッドを信頼することができた。レース開始後、この車は14時間の間トップの座を守っていた。「ひょっとして今年はいけるんじゃないかと自分に言い聞かせていました」と中嶋一貴はレース後振り返った。
ガシャーン!...豪雨の中、TS040はまず、フェラーリとアウディに激突。電気回路の故障でストップし、火がついた。最終的にアウディが勝利を手にした。「こういうのを痛恨の極みというのでしょうね。なんて言ったらよいかわかりません。チームと我々を支えてくれた人たちに申し訳ないです。これがルマンなんだ。そしてこれこそが再び挑戦しに来た理由なのです。また、新たに出直します」と中嶋一貴は嘆いた。
ルマンは神話となったコースである。そこではテクノロジーと人間が真っ向からぶつかり合う。しかし、それゆえに着順はほんのわずかなことで入れ替わるのだ。日本の自動車メーカーでは唯一、マツダだけが1991年に勝利を得た。それ以来、桁外れの努力が払われてきたが、何も変わることはなかった。「私が確信しているのは、日本人がルマンで勝てないとすれば、それは咄嗟の判断ができるかだと思います。臨機応変の対応というのは日本の文化の中では常に難しいという印象を私は持っています」と(ル・マン24時間レースのサーキットがある)サルト県選出で自動車レースの大ファンでもある元仏首相フランソワ・フィヨン氏はフランス・ジャポン・エコー135号のインタビューで語っている。

このページをシェアする Share on FacebookShare on TwitterShare on Linkedin