これからの歴史

これからの歴史

ピエール・スヴェストル氏が、外界への強迫観念という視点から日本の近代史を辿る。その強迫観念は、今日も続いている。


ピエール・スヴェストル氏は、長い間、日本史への情熱を、フランスそして日本の産業界における重職(ミシュラン、エアバス、日産など)のかげに隠してきた。この度、彼の処女作『Le Japon face au monde extérieur(仮:外国と向き合う日本)』が出版される。この「外国」とは、スタンダールの有名な言葉(「小説とは、街道を歩んでゆく鏡である。」)をひけば、まさに日本人の歩みを映す鏡なのである。「純粋性」と「アイデンティティ」にとりつかれた日本でこれまでに起きた大変動、その要因は、少なくとも部分的には、外国という圧倒的な「他者」に対する魅惑と反発によって説明される。この感情こそが、キリスト教徒に対する迫害を引き起こし、他に例のない265年間の鎖国を推し進めたのである。明治維新における尊皇派と佐幕派の内戦の原因は、何よりも外国人との関係を巡ってのものであった。太平洋戦争については、言うまでもないだろう。それは、日本が世界と対峙する大作戦であり、20世紀の前半と後半を分かつ傷跡として残っている。

戦後
「敗北ゆえの勝利」としての戦後は、世界との新たな対峙の機会であったが、今回の戦場は経済に限られていた。しかし、何も変わってはいなかった。現在、安倍晋三により、1946年の憲法に対する批判的な議論が起きている。批判者によれば、憲法は、占領軍であるアメリカ人の手によって書かれたというそれだけの理由で無効ということになる。アメリカが日本人に残した「民主的遺産」の計り知れない価値は考慮されていない。この議論からも、この問題が日本の政治的な議論の構造をどれだけ規定しているかを理解できる。外国が敵であったとして、これらのページを読めば、その敵は勝利したように思われる。というのも、外国は日本の精神を文字通り「占領」しているからだ。それも、日本の振る舞いをいちいち定めるほどに。しかも、植民地化には全く苦労しないのである!矛盾をはらんだ、少し悲しい結論である。それは、日本の将来の苦痛を告げているからだ。ピエール・スヴェストルは、日本の将来について語ってはいない。しかし、この過去の中の彷徨の末に、彼の関心を最も占めているものは、まさにそれなのである。著者は、日本のここ数年の傾向について、きわめて率直に語っている。彼は、透徹な文章で、自らがよく知るこの国に対する苛立ちや、ときには怒りを、少しだけ露わにする。敵としてのアメリカはもはやいないが、日本は「他者」を中国に見出している。二つの政府は、二国間の対立において、互いに自らを正当化している。日本は、巨大な隣国の領土拡大の意思を警戒し、中国は、侵略者としての日本との戦いから自身の正当性を引き出しているというわけである。「日本が、巨大で今後脅威となる隣人に対して神経過敏になっていることは、それほど驚くべきことではない。驚くべきは、2013年からつづく保守政権が、まるで戦争などなかったかのように、つまり、日本がアジアを侵略し、そして敗北したことが、まるでなかったかのように、明らかに振る舞おうとしている点なのである」と、著者は序章で述べている。これ以上付け加えることはないだろう。

『Le Japon face au monde extérieur』
ピエール・スヴェストル著、Indes Savantes社

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