エリゼ宮の日本人シェフ

萩春朋(はぎ・はるとも)氏は、福島県のレストランからフランス大統領官邸・エリゼ宮の厨房へ渡った料理人。普段の萩氏は、震災の傷跡が今なお残る街でごく限られた馴染みの客を相手に料理の腕を振るう。その萩氏が、2週間にわたりエリゼ宮の厨房に入り、福島産の野菜を使った料理をオランド大統領に振る舞った。以下、本誌によるインタビューを紹介する。>

これまでの歩みをお聞かせ下さい。
福島原発から50キロの距離にあるいわき市で、私は妻と10人の従業員とともにレストランを経営していました。あの地震と津波で、私の考え方は大きく変わりました。地元でも数多くの人々が亡くなったのですが、料理人にはお客様に料理を提供し幸せを届けるという素晴らしいチャンスが与えられていると考えるようになりました。レストランの従業員たちは解雇せざるを得ませんでしたが、私はこの地に残ることにし、地元の食材だけでやっていこうと決心しました。福島産の食材が敬遠される「にもかかわらず」ではなく、敬遠されている「からこそ」それを使ってやろうと。現在レストランは妻と私の二人だけで切り盛りしていて、1日1組限定で店を開けています。近隣の農家や漁師グループと提携し、可能な限り新鮮な食材を届けてもらいます。この度、福島産の食材を用いた料理をオランド大統領に召し上がっていただくという機会を得ました。大統領には、フランス産の野菜を海苔でくるんだ料理もお出ししました。これらを––通じて福島産食材に対する根強い風評被害を多少なりとも取り除くことができたのではないかと感じています。

フランスという国についてはどのような印象を持っていますか?
料理人としての経験の中で印象深かったのは、フランスではじっくりと構想を温める文化があるということです。完璧になり過ぎた日本では、あらゆる種類の食べ物がいつでも手に入る――こうした状況が料理する側にとって常々ストレスとなっています。それから料理に携わる各人がお互いを尊重し合っているということ、これも日本ではなかなか目にすることが出来ないことだと思います。
また、フランスでは料理人の社会的地位が日本に比べて明らかに高いと思います。例えば私が何かもっと伝統的な芸術分野で功を成せば、天皇陛下にお目にかかることも出来るかもしれませんが、料理分野でそれを望むことはできないでしょう。もちろん、日本社会においても有名シェフの手腕は正しく評価されていますが、尊敬される度合いがフランスとは違います。なにしろフランスでは、大統領自らパティシエの全国コンクールに顔を出すのですから! そしてこの私自身も、大統領にお目にかかることができたのです! まさかこのような栄誉を賜ることになるとは、思ってもみませんでした。

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