五輪に賭ける東京

2020年オリンピック開催地に東京が選ばれたことで、日本は自信を持って経済改革を進めるチャンスをつかんだ。

天からの賜物
多くの人が、イスタンブールとマドリードを破り、東京が2020年五輪開催地に選ばれたのは天の賜物だと感じたが、やはりサプライズであったことは間違いない。日本人は、自分たちについて語ることが得意ではない。個人、集団どちらにおいても、日本人は自分のイメージを常に気にしてしまう。それが魅力でもあり、弱点でもあるのだが…北京に(わずか6票差で!)敗退した大阪の誘致失敗に続き、リオデジャネイロを相手に敗北した2016年五輪誘致の茶番劇(22票差)は、今回も最悪の事態を予想させた。猪瀬直樹 都知事のプレゼンテーションを聞いたジャーナリストは皆、感銘を受けるというには程遠かった。決定の数時間前、他の五輪候補地に詳しい東京駐在の欧州のある外交官は、 国際オリンピック委員会(IOC)にとってはイスタンブールこそが必然的な選択だと説明していた。「日本はこれまでに三回オリンピックを開催したことがある。それに対しトルコはイスラム国家初のオリンピックとなる。IOCが歴史的イベントにしたいと考えれば、イスタンブールを選ぶはずだ。」2年前から東京都庁に配属されている日経新聞の記者は、マドリード優位と考えていた。ブエノスアイレスでの最終プレゼンの数日前に発覚した放射能汚染水の福島原発周辺の土壌及び海中への漏洩により、日本の招致委員会は各国の記者団からこの問題について質問攻めを受け、困惑に陥っていたからだ。
しかし、ブエノスアイレスで日本は人々を驚かせた。勝利の立役者となったニック・バーレー氏が本誌のインタビューで明かしたところによれば、日本人は自らの良いところをIOCに示すことができたのだという。「彼らは2016年の失敗から学んだのです」と同氏はいう。優れた“外交官”小倉和夫氏率いるベテランチームが、特にフランス語圏のIOC委員に対して日本への好感度を高める重要な役割を果たした。

1964年が出発点

東京五輪といえば、どうしても1964年の五輪が思い出される。五輪は徹底したインフラ網の整備の口実となり、日本が他の工業化した大国と肩を並べるきっかけとなった。当時、日本は五輪のために国家の年間予算の三分の一に相当する1兆円を費やした。この投資の大部分は、東京・大阪間の新幹線、東京の上空を走る首都高速都心環状線、及び東京の地下鉄の主要部分の建設に充てられた。これらは、現在でも毎日利用されている。その後、名古屋・大阪間の名神高速道路(1965年)、東京・大阪間の東名高速道路(1969年)、そして大阪・福岡間の山陽新幹線(1975年)など道路・鉄道網の骨格が完成し、それを基盤として経済が発展した 。私たちは今なお、1964年の五輪により建てられた舞台装置の中で生きている。「日本の産業は、1964年の五輪と1970年の大阪万博を経て著しく競争力を増した。この2つのイベントによって、日本は世界に繊維、鉄鋼、テレビ、自動車を紹介することができた」と三菱UFJ証券の佐治信行チーフエコノミストは指摘する。1965年から1985年の間に自動車輸出台数は35倍、テレビの輸出台数は148倍増えた。

Tokyo 2020
日本は2020年、これまでより強くなるだろうか、それとも弱くなるだろうか。都知事は五輪が年間3700億円の波及効果をもたらすとするが、これはGDPの0.1%に過ぎない。開催そのものの費用は、「ロンドン五輪の予算に基づくならば」1兆円かかるとバークレイズ証券の徳勝礼子アナリストは算出する。
2020年の五輪は日本にとって吉と出るか、凶と出るか。五輪が無駄なインフラ工事の口実となり、日本の財政状態をいっそう危険にさらす可能性もある。政府はまさに2020年までに財政を黒字化させることを約束した。「高齢化による医療費の自然増加を考えると、公共事業が増えないと仮定したとしてもこの目標はかなり高いハードルだ」と徳勝氏は説明する。
しかしこの五輪を機に、日本経済が新たに生まれ変わることも考えられる。今日まで日本の成長を牽引してきた製造業の代わりを、観光業が部分的に担うことができるかもしれない。日本政府は外国人旅行者数を2016年に1800万人と掲げ、その国内消費額を30兆円とすることを目指している。「この金額は、観光業を自動車産業、電気産業に次ぐ日本の第三の産業とするものだ」と佐治信行氏は指摘する。ゴールラインは2020年7月24日、五輪開幕式の日に敷かれている。

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