偉大な人物

本田宗一郎は、日本における偉大な起業家のひとりだ。本田宗一郎と親交が深かった株式会社セリク社長、クリスチャン・ポラック氏は今回初めてこの偉大な起業家との個人的な思い出を語った。 

出会い 
本田宗一郎と出会ったとき、彼は70歳で、私は26歳でした。私は国民役務(セルヴィス・ナショナル)の青年ボランティアで、本田氏と当時フランス大使館の文化参事官であったティエリー・ド・ボーセ 氏との間で夕食会が行われた際、通訳を務めました。本田氏は本田財団の創設を計画しており、私もその傘下に加えてもらいました。

自動車
本田宗一郎は浜松の鍛冶職人の息子として生まれ育った、正真正銘の「たたき上げの男」です。彼は技術者魂を持っていました。大学でエンジニアリングの講義を受けましたが、あくまで聴講生としてであり、免許や資格を取ることには関心がありませんでした。 本田宗一郎のキャリアはピストンの製造で始まりました。そして次に戦闘機のプロペラ製造に携わりました。プロペラは、マルセル・ブロック、つまり後のマルセル・ダッソー(Marcel Dassault )の模倣でした。1945年、日本の航空産業がアメリカによって封印されたとき、本田は再び発明に取り組むことになりました。彼は、米軍が大量に小型モーターを備蓄していることに気付きました。それらを廉価で買い取り、自転車に取り付けたのがオートバイの始まりでした。その15年後、彼は自動車製造に進出し、当時自動車産業をトヨタ、日産、三菱の3つのグループに再編しようと目論んでいた通商産業省(現経済産業省)を困惑させました。本田宗一郎は、マツダ、スバル、プリンス、そして同じ浜松出身のスズキの後押しを得て、そのプランを覆しました。彼は戦いに勝利したのです。

航空機
本田宗一郎は、航空機製造に憧れていました。私は彼の子供の頃の写真を一枚いつも大事に持っています。1917年、彼が11歳のときのものです。飛行士の革の帽子を被って、いたずらっ子のような笑顔でおにぎりを頬張っています。彼が、浜松でパイロットのアート・スミス (Art Smith) のデモンストレーションに参加したときの写真です。この中に彼の情熱のすべてが語られています。
本田宗一郎は、常に大空を舞うことを夢見ていました。彼自身が操縦することもありました。1976年のある日、彼は飛行機を製造したいと言いました。そして、マルセル・ダッソーを紹介してもらい、「プロペラを模倣させてもらったことのお礼」をしたいと私に頼んできました。私はダッソーをよく知っていましたので、パリでの会談をセッティングしました。二人はすっかり意気投合しました。数カ月後、本田宗一郎はマルセル・ダッソーに、彼が特に興味を持っているフランス製の飛行機を探し出してほしいと依頼しました。その飛行機が見つかるや、本田はそれを解体し、日本に運んで、和光市にある本田の研究開発所の優秀な人材の中から25人のエンジニアを選抜し、組み立てさせました。一方、オートバイが大のお気に入りのマルセル・ダッソーは、本田宗一郎にモトベカン社 Motobécane 買収のサポートを依頼してきました。しかし、同社は結局ヤマハに買収されました。本田宗一郎は、エアバス社とアエロスパシアル社の飛行機やヘリコプターを日本市場で売却する時のサポートもしています。彼は、外国企業の日本市場進出時のサポートを進んで行い、代わりにホンダの製品輸出時に助けてもらっています。彼は海外で出会った企業経営者にホンダの製品をプレゼントしていました。素晴らしい関係でした。

エンジニア
彼は技術への情熱をホンダの研究所のエンジニアたちに伝えました。彼は常に従業員たちに対して「おそらく99回は失敗する。だが100回目に成功するだろう」と語っていました。このようにして、ホンダは世界一の自動車製造会社になったのです。
しかし、彼は自分が製造にばかり重点を置いているわけにはいかないとわかっていました。 1948年、本田は旧知の友人である藤沢武夫とタッグを組むことにしました。藤沢が経営を、本田が製造を担当しました。もしも藤沢武夫がいなかったら、本田宗一郎は「貧乏エンジニア」で終わっていたでしょう。それは彼自身もよくわかっていました。

先が読める人
本田宗一郎は、日本の自動車は顧客のすぐそばで製造しなければならないということを最もよく理解していた人です。彼は製造工場を米国に移し始めました。彼は印象的な名前の場所を探していました。誰かがコロンバス市を提案したとき、「コロンバス?クリストファー・コロンブスみたいな響きじゃないか。それがいい!」と彼は叫びました。こうして、ホンダの初めての海外工場はコロンバス市に設置されることが決まったのでした。

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