先輩と後輩

BNPパリバ証券株式会社代表取締役社長兼BNPパリバ銀行東京支店在日代表を務めるフィリップ・アヴリル氏と、仏ガラス大手サンゴバン。アジア・パシフィック地域代表部 副代表 日本担当で子会社のマグ・イゾベール株式会社代表取締役社長を務める。フランソワ=ザビエ・リエナール氏。25年にわたる二人の友情、そして日本への思いを聞いた。

お二人が最初に出会ったのは?
フランソワ=ザビエ・リエナール : ESCP(パリ高等商業学校)卒業後、大阪大学で1年の学業を終えた私は、1988年に兵役代替海外企業派遣志願者として東京のインドスエズ銀行に入社しました。フィリップは当時私のボスだったのです。今でも当時のインドスエズ銀行の宣伝広告をよく憶えています。「インドスエズ、チャンス溢れる世界へ( Indosuez, a whole world of opportunities )」というスローガンにあわせて溌剌とした銀行家が登場するというものでしたが、大変気に入りました。日本での勤務を終えた後は、ロンドンのモルガン・スタンレー銀行を経て、産業界に足を踏み入れました。まず薬品業界で働き、その後今のサンゴバンに入社しました。今年で18年になります。入社直後は前職からの自然な流れで財務のポストに就き、その後同社の総括的な業務に関わることになりました。つまり、短期的な観点でものを見るコンサルタントから、長期的に見て企業経営者として自らのアイデアを実行に移す立場になったということです。とは言え、金融業界との良好な関係はしっかり維持しています。ところで、私は優れた銀行マンを見分ける確実な方法が知っています。その秘訣とは、私と同じ経営感覚を持つ銀行マンを見つけることです(笑)。

フィリップ・アヴリル:私が来日したのは彼と出会う1年前の1987年のことでした。当時、インドスエズは日本市場で非常に重要な地位を占めており、資産規模で見ると在日外資系銀行の中ではシティバンクとJ.P.モルガンに次ぐ第3位に位置し、300人もの雇用者を抱えていました。商業銀行とリテール業務を展開し、多くの外国人がインドスエズ銀行に口座を開設しに来たものです。ジャーナリスト兼作家のフィリップ・ポンス氏がうちの支店の窓口に現れ、小切手で現金を引き出すなんていう光景も目にしました。明治時代から日本に進出していたインドスエズも、今ではもう跡形もありませんが……

日本における各業界の将来像は?
リエナール : サンゴバンの課題は、日本の建築市場に欧州レベルの断熱システムを導入し、建築技法に変化をもたらすことです。日本の建物(家屋)は、より快適により省エネになり得ます。他方でこの変化は、海外に移転できない雇用を国内に創出し、日本のエネルギーの安定供給にも寄与します。日本の建物がより省エネになることでエネルギー需要は抑えられ、価格も下がるでしょう。その結果、日本の産業は競争力が増し、海外への生産移転に歯止めがかかり、CO2の排出も抑えられるという好循環につながります。

アヴリル : シティバンクを除く全ての外資系銀行は、これまで日本におけるリテール業務を閉鎖しました。日本人は他の先進国とは異なり、今も外国人に貯金を預けることを好まないようです。しかし、この国には国際取引分野の仕事が山のようにあります。例えば、海外に業務展開する日本企業向けに世界各国でキャッシュ管理を行う提案を行っています。世界50カ国以上においてキャッシュ管理を行うことができることが、弊社の強みです。その他、輸出事業や企業合併・買収関連業務などのお手伝いもしています。

お二方の出会いから今日まで、日本は大きく変化しましたか?
アヴリル : 私は、日本の投機的「バブル経済」の終焉と、こうした変化に対する金融セクターの順応ぶりを見てきました。しかし企業風土については、この25年で大きく変わったとは思いません。

リエナール : 2004年に日本に戻ったとき、日本人の銀行マンが私に何がこの15年で変わったと思うか尋ねました。私は「変わったのは銀行の名前だけだよ」と答えました。合併を繰り返した銀行は、名前が完全に変わっていました。それを聞いた友人は大いに笑ったものです。

お互いについての思い出は?
リエナール : フィリップには3つの大きな美点があります。まず、偉大なプロフェッショナルであること。彼は私の質問に対し、常に明快な回答を示してくれます。次に、自らを律する力を持っていることです。金融業界で働くことはいつもストレスが溜まりますが、彼がストレスに押しつぶされそうになっているところを見たことがありません。そして最後に私にとって彼は、指示を出す単なる「管理職」ではなく、社内のいかなる人にも気配りができ、チームのやる気を起こさせることができる「ボス」ということです。

アヴリル : フランソワ=ザビエはバランスのとれた人物で、仕事に対する姿勢は真面目そのものです。初めて会ったとき、彼は流暢な日本語を話し、この国に関する知識も豊富に持っていました。知り合ってすぐ、この人には輝かしい未来が開かれていると思ったのを覚えています。

インタビュアー:レジス・アルノー/写真:ニコラ・ダティシュ

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