先輩・後輩

初めて出会ったときの想い出は?
内海 孚
  私は大蔵省入省後に、フランス政府給費留学生としてフランス大蔵省でフランスの税制・財政制度の勉強をしていました。その頃、友人から、「日本から帰国したフランス人家族の父親が、息子たちがせっかく覚えた日本語を喪失するのが惜しい、日本語の家庭教師になってくれないかと言っている」という話があり、これをお引受けし、毎週木曜日、ヴェルサイユのお宅で夕食をごちそうになり、その後、一時間半ほど、エマニュエルに日本語を教えたのが縁のはじまりです。彼は当時リセエン(中学生)で、すでに流暢に日本語を話していましたし、本当のところ、余り教える必要もなかったので、日本のこと、フランスのこと、帰国した彼がどのように感じていたかを聴いたりして、私もとても興味深かったことを覚えています。日仏両国の文化の間の距離は、当時は今よりもずっと離れており、この二つのカルチャーを肌身で経験したせいか、15歳の少年とは思えないような大人っぽさがある「な」という印象をもったものでした。

どうしてこのような長いつきあいに?
内海 孚
  私が1963年に帰国して以来、二人の接点はなかったのです。1991年、私が財務官のときに、LVMH ジャパンの社長となった彼が大蔵省に訪ねてくれたのが、新しいつながりの始まりでした。それぞれが全く異なる世界で生きて30年近く。それでも、二人ともフランス文化と日本文化を理解し、愛し、共通の価値基準を分かち合える。さらにその上で、お互いの未知の領域のことは補い合っていけるというのは、おそらく一つの理想的な関係なのではないかな…と思います。このような縁で、エマニュエル、そしてLVMHの最高経営責任者ベルナール・アルノーに頼まれて、LVMHジャパンの外部取締役をつとめています。

相手のどんなところを凄いと思いますか?
内海
LVMHジャパンの役員会で、多岐にわたる関係会社、多国籍にわたる各社の代表、時にお互いの利益相反もありうる中で、これをまとめていくのは至難なことです。エマニュエルはグループの責任者として、一人一人の立場や性格を理解しながら実に見事に、ちょっと日本人的にコンセンサスをつくり出していくことに感嘆しています。

これまで相手に言いたくても言えなかったことは?
内海 孚
LVMHはエマニュエルに代る人を見出すことは難しく、中々フランスに帰れないのではないか?

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