孤立する日本の大学

孤立する日本の大学システム

日本の教育制度は世界レベルに追いついていない

日本国内の論理
国際化における日本の位置づけは矛盾している。世界上位の輸出国と投資国でありながら、日本は「グローバル化」しているとは言いがたい。日本では外国企業はまだまだ少なく、移民はほぼ不在、海外移住する日本人も多くない。米国のシリコンバレーは多くのフランス人を惹き付けていうるが、同様の日本人は数少ない。
教育は、フランスと日本の対照的な違いを物語っている。今日、大手企業での就職を希望する若いフランス人は、海外留学とフランス以外の国での研修(インターンシップ)を含む「国際的な」履歴書が欠かせないことを知っている。さらには英語、そして出来れば第三言語の習熟が必要不可欠であることも知っている。フランスのグランドゼコールや大学、さらに中等教育機関もこのことを十分認識している。これらの教育機関が交換留学プログラムや英語での教育課程および二重学位を増やしているのはこのためである。
その反面、日本はいまでも国内の理屈に基づいている。政府も大学も、表向きには国際化を支持するが、現実は異なる。海外留学する日本人は10年前に比べて減少しており、日本の大学が受け入れる外国人留学生の数は増えたが、優秀な学生を日本に惹きつけるまでは至っていない。彼等は、今のところ欧米や、シンガポールのように開放的なアジアの国を好む傾向がある。一部の科学分野を除き、日本の大学には国際的な競争力が全くない。日本の教育制度の弱点(分析と総合よりも記憶を重視、批判精神のなさ)が原因で、日本の学位は国際的な労働市場では評価されていない。日本における英語のレベルの低さは、この国の教育制度の国際化を阻むもう1つの障害である。

現在の日本の「制度」は、国際化と相反している。明治時代(1868~1912)の日本は、想像力あふれる革新的な若者によって築かれた。しかし昨今、日本企業が探しているのは、責任を伴う職に就けるまでに長い間待ち続けることができる従順な学位取得者である。このため、少し違ったプロフィールを持つ応募者はグループの和を乱す恐れがあると見なされ、敬遠される。つまり日本では、独創性や討論、与えられた見方に対する批判的思考、さらには開かれた精神を土台とする機関で教育を受けた国際色豊かな若い幹部は理想的な新入りではないのだ。
結果として、日本以外の国で長い時間を過ごし、教育の一部を海外で受けた日本人の若者は国内の雇用市場において不利である。彼らが成功する可能性があるのは日本ではなく、外国企業または国際機関である。日本人男性に比べて日本人女性の国際化が進んでいるのはそのためである。彼女たちは意図的に国際化の道を選択し、日本にある外国企業でキャリアを重ねるか、他国で働くために日本を離れるのである。

ロバート・デュジャリック
テンプル大学ジャパンキャンパス(東京)の現代アジア研究所長(robertdujarric@gmail.com,
レオ・リン
ジョージワシントン大学(ワシントン)の学生。

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