文学

不朽の芥川作品
芥川龍之介は、20世紀の日本文学史に、自殺した作家たちのひとりとして名を連ねている。数百点ほどの短編小説の中で芥川は、平凡な人々、狂気の人々を描き、そこに登場する人物とともに、勇敢にも絶望の淵を歩んだ。35歳で人生を終えるまで。この不条理の作家が残した、幻想、ユーモア、宿命が織り成す珠玉の17の短編小説が、あらたに、カトリーヌ・アンスローの素晴らしい翻訳により、細部に渡りフランス語で読めることとなった。
本のタイトルにもなった作品『馬の脚』では、大日本帝国時代の会社員、半三郎の不運が描かれている。思いがけず死亡した半三郎に、あの世の役人は、その死が「役所の手続きの間違い」であったと告げる。こうして役人は半三郎を「もとのように」生き還らせるのだが、死んだときに失われた半三郎の足は、頑丈な馬の脚に付け替えざるを得なかった。半三郎はかつての生活に戻ろうとするが、周りの人々に理解されることもなく、ついに失踪を決意する…。
短編集には、『魔術』のような、不可思議な話もある。インドの魔術師が、語り手「私」に無欲でいるよう課題を与えるが、「私」はそれに達することができない。『煙草と悪魔』では、中世キリシタンの修道士に成りすまし、日本に上陸した悪魔の計画を事細かに分析してみせる。作品の中で芥川は、悪魔の企みは失敗したかのようにみえるときこそ最も有効に作用しているのではないか、と指摘する。この小説の結末に、作者は、あまり頓着していないようだが、彼特有の予感めいた言葉で締めくくっている。「唯、明治以後、再(ふたたび)、渡来した彼(悪魔)の動静を知る事が出来ないのは、返へす返へすも、遺憾である…」。芥川の作品に希望は存在しない。せいぜい彼とともに笑うしかないのか。
芥川龍之介『馬の脚』ベル・レットル社刊220頁

谷口、フランスから日本へ
谷口ジローは間違いなく日仏関係の鍵となる人物である。数ヶ月前、アングレーム国際漫画フェスティバルは、この漫画家に敬意を表し、大きな展示スペースを割いた。ルーブル美術館とフュチュロポリス社が共同出版した、谷口の『レ・ギャルディアン・デュ・ルーブル(ルーブルの守り人)』は、日本では、『千年の翼、百年の夢』と題し、"フランスの出版物のように"オールカラーの大型判で出版された。今までの日本のスタイルとはまったく異なるが、数週間で1万5千部という好調な売れ行きを見せ、増刷が続いている。

今日のフジタ
藤田レオナール嗣治は、つねに話題に事欠かない人物だ。現在パリで、この画家をテーマにした日仏合作映画が撮影されている。以前、テレーズ・ムールヴァの著書『ポール・クローデルの情熱と受苦』を訳した日本の大学教授、湯原かの子は、あらたに、興味深い力作『藤田嗣治 パリからの恋文(新潮社2006年刊)』を刊行した。同書は、藤田が妻とみに宛てた手紙を紹介しながら、フランスや芸術家たちに抱いた第一印象、日本の新聞社に送った随筆、藤田と近しい人たちのインタビューなどで構成されている。全体を通して、この画家の複雑な人間性と奔放な生涯をたどることができる。フランス語への翻訳も検討されている。

リシャール・コラス著『Seppuku』
1965年1月1日。夜明け前の東京の公園で、一人の男が切腹の儀式に取りかかる。かつて侍が腹を切って自刃した自殺の儀式である。その数日後、あるフランス大使館員が36冊の手帳が入った奇妙な小包を受け取る。そこには、日本にいる友人であり良き助言者でもあったエミール・モンロワの歴史が書かれていた。モンロワは、遺書の代わりに自分の一生を描いた小説を、同じフランス人である彼に託したのであった。モンロワとは何者だったのか?どのような経緯で自らの命に終止符を打つに至ったのか?話者は、この謎めいた人物の自伝から、ペレックが言うところの「大きな斧つきの」歴史を忠実に辿ってゆく。戦前のベルリン、解放時のパリ、朝鮮戦争。そして終着駅の日本まで…。
リシャール・コラス『Seppuku』スイユ社刊336頁

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