文学

人脈の男

エディ・デュフモンが日本のナショナリズム信奉者たる大物知識人の横顔を紹介 


天皇のゴーストライター

安岡正篤という人物をご存知だろうか。ご存知ない方のためにご説明しておくと、この人物、太平洋戦争を正式に終結させた昭和天皇の詔勅、所謂「玉音放送」を執筆した2人のうちの一方である。既に1853~2011年の日本政治史に関する著書を上梓しているエディ・デュフモンは、知る人ぞ知るこの名士に捧げた自身の博士論文に手を入れ、貴重な史料満載の1冊に纏め上げた。20世紀日本における保守主義の歴史を総括するにあたり、同氏が出発点としたのは独自の仮説――日本のエリート階級には、20世紀全体を通じて連綿と続くひとつのイデオロギーが存在する――だった。この意味において先の戦争は本質的な断絶ではなく、日本は1945年、焦土の中から生まれ変わったのではなかったと言えるかもしれない。

安岡正篤の生涯は著者の仮説を裏付ける好例だ。この人物が辿った思想の軌跡を眺めていくと、日本史上かつてない激動の世紀にありながら、その言葉に一分のブレもなかったということがひとつの大きな特質として浮かび上がってくる。1921年から1983年に亡くなるまで安岡が繰り返し唱え続けたのは、白禍論に基づく現代人と機械文明への批判的な言説である。その根底には、宋明理学という不動の価値観と、日本人の教化教育という変わらぬ構想があった。 


指導司祭
恐らく安岡正篤には政治家として大成するためのプラグマティズムが欠けていたのだろう。彼は言うならば指導司祭なのだ。人脈を築きそれを維持する才に長けた安岡は、政界だけでなく財界においてもその発言力を増していく。反民主主義理論、反共産主義、尊王、そして犠牲精神――エリート階級が国民を保護する一方で、護られる国民の側は体制転覆を諦めるという、両者の間に交わされたいわば社会的契約のごときもの――安岡はそんな思想を、先鋭化しない形でゆっくりと政財界に醸成していった。この犠牲の意味を考える時、会社に奉仕する現代のサラリーマン倫理をこの国にもたらしたのは、実はこの人物だったのではと思わずにはいられない。

こうした知の遍歴(これを知と呼ぶのはためらわれるが)に嫌悪感を持つ人は少なくないだろう。だが卓越した客観性を備えたエディ・デュフモンの筆にかかると、この人物を単なる嫌な奴で片付けるわけにはいかなくなる。この作品の力技により、政治思想における「保守主義」という言葉に再び光が当てられたのだ。平和主義寄りの真摯な人道主義者という側面と、ファシズムに傾倒した確信的な民族主義者の顔を併せ持つ安岡。彼の交友関係を辿っていく中で読者が垣間見るのは、こちらもある意味非の打ち所のないインテリ層に属していた暴力的な保守主義者たちの生態である。


狂人たちの中のインテリ
この錚々たる取り巻きの中で特に目を惹くのが大川周明だ。犬養毅首相暗殺(1932年)の共謀者とされ、東京裁判では戦犯として裁かれたが、一方で傑出したイスラム教神学者として日本で初めてコーランを翻訳した人物としても知られている(翻訳作業は精神病院入院中に行われた!)。本書においては儒教は、日本人が生まれながらに知らず知らずその影響を受けている文化的基盤としてではなく、20世紀の先進国にも適用可能な社会構想を生み出す思想の一派として描かれている。

惜しむらくは安岡の狂信的な政治思想が前面に出るあまり、この人物の私生活がすっかりその陰に隠れてしまっていることだ。誤植が目立つのも残念である。とは言え、この確信的な東洋主義者の生涯をフランス語で読ませてくれた著者エディ・デュフモンには感謝しなければならないだろう。なにしろ現在フランス語で書かれた日本の偉人の伝記といえば西洋の賛美者か、でなければ外側から西洋に好奇の目を向けた人々(これではまるで鏡に映る自分の姿を眺めているかのようだ)ばかりが並んでいるからである。

ブノワ・ローロ


(仮:日本の儒教と保守主義――安岡正篤の思想遍歴)』ボルドー大学出版、エディ・デュフモン、24€




ピケティの資本論

話題の翻訳書がついに日本で刊行した。2015年、日本人もようやく「Le Capital au XXIe siècle(邦題『21世紀の資本』)」を日本語で読むことが可能になった。フランス人経済学者トマ・ピケティ氏著の本書は、日本ではこれまでフランス語版と英語版しか手に入らなかったが、すでに何ヶ月も前から話題となっていた。それはおそらく本書が、日本人にとって重要な概念である「平等」を主要なテーマとしているからだろう。ピケティ氏によると、ヨーロッパや日本における格差は、とりわけ高齢者と若者世代間の格差であるという。同氏は日本経済新聞のインタビューで、「家庭の資産に頼れない若者は、今日困難な状況に置かれている。(中略)2020年、あるいは2030年までに日本で行われる資産の譲渡は、(富の格差が著しかった)バルザックの時代におけるパリよりも、ずっと大きなものになるだろう。」と述べている。

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