東京からアジアへ!

自動車部品メーカー、デルフィンゲン 社がアジアの基地として日本を選択したのはなぜか。

アジアへの針路
デルフィンゲン社はフランスの工業会社の一つであり、世界の自動車業界のなかで「縁の下の力持ち」として知られている。フランス東部モンベリアール地方で誕生したこの家族経営の中小企業は、自動車部品組立、車載部品保護流体(ブレーキオイル、水etc)移送システムの非常にテクニカルな分野に特化した事業を行っている。同社は当初プジョーを主な顧客としてきたが、その後同社のサービスを他の自動車メーカーに提供し始めた。現在デルフィンゲン社は、アジア展開の拡大をもくろむ。同社は世界における売上の10%をこの地域で既に達成しており、フィリピン、タイ、インド、中国の生産拠点で300人の社員を雇用している。最終的に同社がこのゾーンにおける最初の地域アンテナを設置する場所として選択したのは東京であった。新しい事務所が開設されるというニュースは矢崎総業、古河電工を含むデルフィンゲンの日本顧客から好意的に受け入れられた。

戦略的な選択
予想される費用も日本国内の市場規模の縮小傾向も、デルフィンゲンが日本に拠点を置くことを断念する理由にはならなかった。デルフィンゲンは戦略的なゆりかご、それは日本だと賭けたのだ。「彼らは当初、アジア地域に拡大していく上で、バンコクに開設することを考えていました。しかし、日本の自動車メーカーの司令塔に近い方が良いのではないかと考えるに至ったのです」と最近、地域デレクターに就任したフレデリック・ベノリエル氏は説明する。「若造を採用する代わりに64歳の私を選んだのです。これは彼らが型にはまらず、アジアでの経験がモノを言うのだと知っているからです」と面白そうに語る。日本の自動車は東京で入念に作り上げられた戦略に基づいて世界各地に拡大している。2013年3月末締めの会計年度(公開されている最新の統計)では海外での日本の自動社生産は1600万台に達し、前年比15%増の飛躍を遂げた。デルフィンゲンは顧客が進出した場所はどこにでも自らも出て行くという政策を採っており、日本の自動車メーカーの動きに従うことをよく理解している。

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