気分転換: SASに捧げるエピローグ

スパイ小説「SAS」は、日本を知らずして死せず。去る2013年11月に帰らぬ人となった仏作家ジェラール·ド·ヴィリエは、最新の冒険小説のうち2作を日本を舞台に書き上げていた。『レッド・ドラゴン』(Rouge Dragon)と『平壌の亡命者』(Le Défecteur de Pyongyang)では、スパイ・ヒーロー、マルコ・リンゲが東京に姿を現す。ジェラール·ド·ヴィリエが日本を見出したのは2000年代半ばのこと。日本で彼を案内したのはGHT社のCEOミッシェル・テオヴァル氏で、彼はテオ・ステファンなる人物として作品に登場している。「ド·ヴィリエに誰かを紹介すると、彼はその人物の人柄を見抜き、作品に登場させていました。しかも、その登場人物には実名に近いネーミングをするといういたずらを仕掛けることで、彼らを喜ばせていました。」とテオヴァル氏は回想する。日本編にはリムジンの女運転手や銀座のホステス、警察のトップたちが登場する。
ジェラール·ド·ヴィリエは、スパイの世界を熟知していた。ロシア、アメリカ、フランスの秘密諜報組織に精通し、知り得た情報を提供することで世界中の大使館と親交があった。夏に仏サントロペでド·ヴィリエの友人、クロード・ランズマンに会うと、88歳のランズマンは彼のPCのキーボードを静かに叩いていたが、「ド・ヴィリエは未だにIBM製のゴルフボール・タイプライターを使っていました」とテオヴァル氏は振り返る。この不屈の旅人は、椅子に座った諜報員だったのだろうか?ジェラール·ド·ヴィリエは、その小説の多彩さを表すように様々な顔ぶれの列席者が見送る中、生まれ故郷のパリに埋葬された。破産して自身の葬儀代も払えぬ最期であったと言われている。

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