水素社会

気候変動に関する日本の義務履行のカギを握る新たなエネルギー源

水素を燃料に
日本の掲げる温室効果ガス削減目標が不十分だとの認識ゆえか、安倍晋三首相は12月初旬に開催された気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)の開会スピーチにあたり、経済成長の妨げにならない革新的技術を世界に提供することで日本は将来の気候温暖化対策に大きく貢献するという主旨の発言を行った。ここで安倍首相が真っ先に触れたのは、水素技術の将来に対する期待だ。スピーチの中で「CO2フリー社会に向けた水素の製造・貯蔵・輸送技術」に触れた首相は、水素エネルギー利用へのかじ取りを国の優先事項に掲げている。
政府は国内の主要産業、とりわけ大手自動車メーカーと手を組み、先発の水素燃料電池自動車の購入に加えて国内全域における水素供給設備の設置に対しても補助金を出すほか、各世帯における家庭用燃料電池の設置も後押ししている。水素と大気中の酸素が電池の中で直接反応することにより発電する燃料電池。水素と酸素の間で生じるやり取りにより水素分子から電子が分離し、これが電気エネルギーに変換されるという仕組みだ。そしてこの反応からは水分子しか排出されない。

未来に向けて
輸入化石エネルギーへの依存度の高さという弱みを抱え、さらに福島の事故以来原子力発電に及び腰の世論を考慮せざるを得なくなっている日本において、水素エネルギーの活用というオプションは、理屈の上では理想的な選択肢のように思える。「 水素はあらゆる種類の一次エネルギーから生産することが可能で、再生可能エネルギー由来のグリーン水素などの利用も想定されます」と語るのは、横浜国立大学でこの分野の研究を行っている太田健一郎氏。汚水処理施設の汚泥から水素を生成する新たな水素製造プラントが先頃国内に誕生したことを受け、トヨタの燃料電池自動車「MIRAI」製品企画本部 でチーフエンジニアを務める田中義和氏は、「映画『バックトゥザフューチャー』に登場する科学者ドクが燃料代わりに家庭の生ゴミを車のタンクに放り込むという、30年前の空想を現実のものにする」という夢を描いている。

勝負の一戦
その意気や良し。とはいえ専門家筋によると、日本はまだ水素を巡る開発の先陣争いを完全に制したわけではなさそうだ。「水素社会の実現に成功する国が出てくるとすれば、それが日本である可能性は高いでしょう。ですがそのためにはまだ非常に大きな課題をクリアしなければなりません」と分析するのは、エア・リキード社でアジア太平洋地域担当取締役を務めるフランソワ・ブネ氏 。そしてゼネラルモーターズ・ジャパンの先端技術ディレクター、ジョージ・ハンセン氏も「このエネルギーに関しては、私たちはまだ所謂『デスバレー(死の谷)』から抜け出ていません。このシステムの成否がはっきりしないまま、途方もない額の投資を行っているわけですから」と述べている。 同氏によると、水素を用いたソリューションの普及にはメーカー相互の連携による迅速な低コスト化が不可欠だという。
現状では、水素テクノロジーのコストが普及を妨げている格好だ。なにしろ燃料電池の価格は200万円という高額で、これを備える家庭もせいぜい10万戸に過ぎないのだから。トヨタのMIRAIは各種補助金や助成金を含めても500万円以上、そして市場に出回るスピードも亀の歩みに等しい(2015年生産予定台数は700台)。
また水素技術に投資する多くの企業が、当局お決まりの厳しい規制導入には投資家の意欲を削ぐ恐れがあるとして、規制緩和に向けた行政側の努力を訴えている。今日、JX日鉱日石エネルギー社による水素ステーション1基の建設費用は4億1000万円で、これは従来式のガソリンスタンド建設費用の実に4倍にも相当する額だ。爆発のリスクはほとんどないにも関わらず、水素ポンプと道路の間を隔てる分厚く高い壁の設置が義務付けられるなど、極めて厳しい安全上の制約がこうした価格の高騰を招いている。この分野でトヨタを猛追するホンダは2016年中に同社初のセダン型燃料電池自動車「クラリティ」を発売する予定だが、同社は岩谷産業グループと共同開発している小型のパッケージ型ステーション、「スマート水素ステーション」に対する規制措置決定の遅れに関し、報道機関に経済産業省の対応の遅さを訴えている。現状、同社が試験的に設置したステーションの数は全国でわずか2基に過ぎない。

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