私が福島で見た何か

私が福島で見た何か

ギョーム・ブレッションとカルロス・アイエスタが写した福島のイメージはすべて、私たちの心に刻まれるだろう

見えないものを見る
写真家であったら、目に見えないものをどうやって写し撮るのだろう? 福島の悲劇はまさに世界中に衝撃を与え、これを画像として写し撮る方法を見出したアーティストはほとんどいなかった。文章による証言では不十分というわけではない。何千枚という災害報道写真には記録としての価値はあるが、今世紀で最も大きな出来事のひとつであるこの災害の重大さを立証する写真は非常に少ない。
そこでフランス人カメラマン、ギョーム・ブレッションとカルロス・アイエスタが登場する。この二人の写真家はしばしば一緒に仕事をしてきたが、この数年はいくつかの一連のテーマを通して福島の悲劇を伝えることに身を捧げている。移動の安全性が全く保障されない福島の危険な状況下で撮影することもしばしばだ。その写真一枚一枚が完成するまでに、警察や被写体となる人との交渉や撮影に費やされた時間を想像することができる。シリーズのひとつ「回顧」(Revenir sur nos pas)では福島の災害が人々から奪い取ったかつての日常生活の場に福島の人々を呼び戻した。写真家たちは彼らに普段通りの動作でポーズを取らせる。年配の婦人が散乱したスーパーマーケットの売り場で買い物カートを押している。制服姿の女子高生が地震でゆがんだバスケットボールコートの上で物思いにふけって耽っている。若い男性が、電気が止まったお気に入りのCDショップの中で、まるで何事もなかったかのように最新のポップスを聞いている。別のシリーズ「光影」(Clair-Obscur)では、かつて人々が暮らしていた痕跡にフラッシュを当て、福島地方の黄昏の風景の美しさを浮かび上がらせている。自動車の残骸、放棄されたガソリンスタンド、陸に乗り上げた船、最後のシリーズは原発の「除染」をテーマにしている。警察が物々しく警備する巨大で秩序立った現場。この二人の相棒以外、誰も災害の現場のこれほど近くで敢えて冒険しようとは思わないだろう。

この二人の相棒以外、誰も災害の現場のこれほど近くで敢えて冒険しようとは思わないだろう。

シャネルの協力のもとに
日本におけるシャネルの命運を舵取りしてきたリシャール・コラス社長は、その大胆な試みで知られているが、ラグジュアリー業界とはほとんど関連性がないという社内からの反対には目もくれず、二人の写真家の仕事を情熱を持って迎え入れた。6月24日から7月24日の期間、シャネル・ネクサス・ホールは二人の写真家に特に照明に気を配った素晴らしい展示の場を提供した。反対を乗り越えたかいはあった。入場者は4,600人に上り、写真展は確固たる成功を収めた。写真展はNHKなど日本の大手メディアにも取り上げられた。会場では、現地の酪農家で原発から数キロメートルの距離にある富岡町に牛と共に残ることを選択した、いつもと変わらぬブルーの作業着姿の松村直登氏や、ユニフランスのフランス映画祭のために訪日したイザベル・ユペールとすれ違ったかもしれない。地球の裏側から来たアーティストの証言を自分の目で確かめようと訪れた福島の住民も少なくなかった。「今回、初めて日本の人々と向き合うことができました。芳名帳に残されたメッセージによれば、彼らはとても感激したようです。この写真展で自分たちが置いてきた家を見つけることができたと、福島の住民の方々から感謝の言葉をいただきました」とギョーム・ブレッション氏は語る。本展はフランスで度々開催されており、今回は日本を巡回することになるだろう。本展の影の部分を背負った避難住民の大部分は恐らく、決してこの地方に再び住むことはないだろう。

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