装いにこだわる男

装いにこだわる男

滝沢直己氏は移り変りの激しいファッション業界で30年以上に渡り、変らぬ審美眼を持ってあらゆるジャンルの服を手がけるファッションデザイナー。世界でも有名なカジュアルファッションブランド、ユニクロのスペシャルプロジェクトのデザインディレクターでもあり、ユニクロ創業者柳井正氏の提唱する「LIFEWEAR (ライフウェア)」というスタイルを世に広めることに大きく貢献した。滝沢氏がインタビューにこたえた。

 「付け加えるのではなく、そぎ落とすのがスタイル」とのことですが、これはとても日本的な哲学だと思います。

仰る通りです。日本人は物を見る時、頭の中でそれを単純化・簡素化し、要約します。例えば砂や石ころを使って山や川、動物などを表現してきたわけですね。取るに足りないものから何かを生み出します。そして装飾を削り落とせば落とすほど、より深く物事の本質に接近することができます。ある製品や作品を見た人が、その制作者とは違う自分なりの解釈をしてもよいのです。同じものを見てそれが山だと言う人もあれば、いやこれは亀だと言う人もいる。このような哲学は、日本の「ものづくり」に携わる職人の間に共通するものです。

日本人は今でもこうした簡素化を追求しているのでしょうか? 例えばIPHONEなどは、日本製であってもおかしくないとてもシンプルな外観です。でもこれはカリフォルニア生まれですよね……

日本人は、簡素化への志向といった美意識や哲学を失いかけていると思います。理由は二つ。まず、欧米式、特にアメリカのビジネスセオリー、つまりマーケティングやブランディング、広報などのシステムが日本人の美を作り出すクリエイティブな才能や本来の美意識の周りに壁を作ってしまったこと。そして2つ目は、消費者や商品をセグメント化して特徴的な顧客層に分類化するという米国企業のやり方を、米国とは社会的にも文化的にも異なる国である日本に無理に当てはめてしまったことです。恐らく、こうした傾向が日本人の哲学や美意識を損なってしまったのではないでしょうか。例えばIPHONEのような、つるりとしてボタンもない製品が日本に上陸した時に日本人経営者の頭に浮かんだのは、それが一体誰をターゲットにしたものなのか、という疑問だけでした。当時、彼らは国内市場のみを見据え、当時の日本のカルチャーである「オタク」や「カワイイ」など、例えばティーンエイジャー向けのキラキラでカラフルなものを表に出したブランディングの携帯を製造しており、大人向けのシンプルなものは海外製品だけでした。一方、スティーヴ・ジョブズは「本物の」日本文化を知っていました。ちょうどパリのルーヴル美術館やフィレンツェのドゥオーモを前にした我々日本人が、その非日本的な美に感動するように、 ジョブスは西洋にはない日本の美しさを理解していたのです。 しかし日本人も、スティーヴ・ジョブズの例とは逆方向に外国の魅力を取り入れることがあります。例えばニームで生まれたデニムのジーンズは、やがてアメリカ人労働者のユニフォームのような存在になったわけですが、この素材の歴史的価値を認め、取引価格が1本10~20万円にも上るデニムの「ヴィンテージ」市場を生み出したのは他ならぬ日本人だったわけですから。

ユニクロ製品を手がける際の基本方針は?

「普遍的な」衣類の創造、それはかなわぬ夢のようなものです。しかし柳井さんは「LIFEWEAR(ライフウェア)」という新しいカテゴリーを提唱しました。それは、デザイナーの名前ではなく、「用の美」という哲学、つまり機能美を兼ね備えた服、そして「匿名性」があるがゆえに、世界中のあらゆる人々が着られ、どのようにでも合わせられる「生活に役立つ服」です。例えばユニクロのカシミヤセーターはシンプルで普遍的なデザインでどんなスタイリングにも合い、着る人を選びません。私も着ますし、カトリーヌ・ドヌーヴやイネス・ド・ラ・フレサンジュのような方々にも着て頂いています。ただ、シンプル過ぎる製品は購買欲をそそらないという問題点もあります。オリジナリティが強過ぎても買うのをためらいますが、適度に個性がないと、これまた買う気が起こらない。つまり程よい均衡点を見出す必要があります。ユニクロの服のデザインは、高級ブランドのデザインと同じくらい難しいですね。}

その審美眼についてですが、日本では普通の生活の中で、その審美眼の存在に驚かされることが多々あります。祭りの踊り手や建築現場などの職人さんなどは、むしろサラリーマンなどの管理職の方々よりエレガントに見えますが…

「ものづくり」は大衆文化から生まれました。民衆的な工芸、いわゆる「民芸」も、一般庶民が自身の好みに合った有用な物品を創造したものです。例えば東北地方の寒冷な気候が生んだ「こぎん刺し」などもそうですね。農民は藍染の麻布を厚く重ね、木綿糸を通して強化・加工し、そこに独特の装飾を施したのです。また一般的に学生たちは各々個性的な装いで原宿や渋谷などに繰り出します(就職活動を始めるまで、という条件付きですが)。卒業の目処がたつと彼らはまるでスター・ウォーズのクローン・トルーパーのように、画一的な「リクルート」スーツに身を包むようになります。その後、管理職に上り詰めるまで個性は封印、その後再び独自性を取り戻そうと努力することになるわけです。

代官山のヒルサイドテラスにオフィスを構えておられます。建物が緑に囲まれていて、都会には珍しく安らぎを感じさせる場所ですね。日本の都市が無味乾燥になり、一極集中していくことをどう思われますか?

これほど混沌とした都市開発を進めている国は他にないでしょう。イタリアやフランスなどの欧州の都市は、秩序に従い建設されています。東京の街にはビジョンがありません。美しいかどうか、ということは問題にならないのです。周辺の環境に馴染んだ東京タワーは美しいです。一方、スカイツリーは周囲との調和もなく、力と高さばかりが誇示されたアイテムとなってしまっています。美意識を飛び越えてエゴという世界になってしまっているかもしれません。

20年前の日本はエレガントな国でした。今日、日本は以前にも増して流行を追いかけるようになったと思います。この国はどこへ行こうとしているのでしょうか?

難しい問題です、難しいゆえに心配なのですが。一体どこに向かっているのか……SNSを通じて始終降り注ぐ無数の情報に食傷気味なのかもしれません。

このページをシェアする Share on FacebookShare on TwitterShare on Linkedin