西洋の色に染まらぬ近代化

西洋の色に染まらぬ近代化

明治日本の内側を見事に活写

レベルアップ
おそらく現代フランスにおける最も優れた日本研究者ピエール=フランソワ・スイリ氏の最新作は、「大文字の歴史」を語る名著に名を連ねる傑作だ。今の日本を理解するための重要なヒントを与えてくれる本作『Moderne sans être occidental (仮:西洋の色に染まらぬ近代化)』で同氏が取り上げるのは、先進国に追いつこうと日本が明治時代に取り組んだ自国の「レベルアップ」というテーマである。抽象的で無味乾燥なエッセイではなく、改革(明治維新は決して革命ではなかった)当時の熱気を再現するためその立役者を著述の出発点に据えたことが、本作にとりわけ強い魅力を付与している。2世紀以上もの間停滞していた日本社会に明治維新が吹き込んだ新風を受け、あらゆる方面で数々の傑物(多くは非常に若い世代)がその才能を開花させた。こうした動きは軍や教育、哲学など、社会のあらゆる分野に波及する。挙句の果てには洋装に身を包んだ欧風の舞踏会や口髭(明治天皇までこの流行に乗った)など、ほとんど猿真似に近いものまで登場した。仏人作家ピエール・ロティは当時の様子をこう記述している。「パリ風のドレスを着た日本のご婦人方は正しいステップを踏んで踊るが、教え込まれたような感じを拭えない。自ら進んでというよりは、まるで自動人形がダンスしているようなのだ」。こうした新しい社会秩序の中で居場所を失った侍階級だけが蚊帳の外に置かれていた。

こうした動きは軍や教育、哲学など、社会のあらゆる分野に波及する。

振り子
著者は西洋化からナショナリズム(あるいは「日本主義」)への移行、そして開国からアジア地域への勢力拡大に至る、この時代の新生市民社会が辿った振り子のような動きを見事に活写している。当時の文化的混交の中にあって、保守派とリベラル、右派と左派を明確に区別することは不可能だ(例えばナショナリストの多くは傑出した国際人だった)。来日した米国人大学教員アーネスト・フェノロサとの交流は、岡倉天心が日本の文化遺産に対する認識を新たにするきっかけとなったが、このことは自己と他者との間を絶えず揺れ動く日本の歩みを如実に表している。このように動き続けるパズルの中で唯一不動のピース、いわば天秤の腕となっていたのが天皇だ。市民側、政府側で台頭する急進派の闘争にあって、天皇は一度も攻撃されることなくそれぞれの派閥に担ぎ上げられていったのである。

危うさ
何やら危うい感じが漂っている。この国には極端なナショナリズムも最先端の民主主義もあり得るからだ。日本はこれら2つの道のいずれか一方を最終的に選ぶことなく、右へ左へとターンを繰り返してきた。与党が提出した憲法草案に盛り込まれている内容は、日本人の享受する先進的な民主主義からのはなはだしい後退を意味している。このような現在の状況を見れば、この議論に決着がついていないことは明らかだろう。日本の民主主義の先駆者にして明治時代を代表する指導者、福沢諭吉。1万円札に印刷されたその肖像は、明治の日本が体験した驚くべきあの冒険を現代に生きる日本人に思い出せと繰り返し語りかけているかのようだ。
本作はまた、私たちがこれまで知らなかった時代への測り知れないノスタルジーをかきたてる。人々がその思想のために生き、これに殉じた時代、それが明治時代である。当時を生きた世代は思想のぶつかり合いに全力を注入し、外の世界に対する飽くなき好奇心に突き動かされ、あれもこれも一度に吸収して自力で封建制から脱出しようともがいていた。今日の味気ない新聞の第一面に目をやれば、消費税増税にしか関心がないかのような書きぶりである。一体当時の熱気はどこに失せてしまったのやら、その再燃があり得るのかもはっきりしない有様である。ピエール=フランソワ・スイリの後継者が今から100年後にしたためる著作には、現代日本に関し一体いかなる知的な論議が紹介されることになるのだろうか?

『Moderne sans être occidental』、ピエール=フランソワ・スイリ著、ガリマール出版

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