飛行時間、100年以上

Durée du vol : cent ans et plus

航空分野における日仏友好100周年が祝われた。鈴木真二教授がその歴史を振り返る。

日本の航空学発展に、フランスはどのような助力を行ったのか?

1871年、ALPHONSEPÉNAUD(アルフォンス・ペノー)が飛ばした最初の動力付模型飛行機にインスピレーションを得て、二宮忠八が1891年、自身が開発した飛行機を飛ばしました。1872年横須賀造船所で、MONTGOLFIER(モンゴルフィエ)の子孫が明治天皇のために熱気球の実演を行いました。1909年12月には、フランス人1人と日本人2人が東京で初めてグライダーを飛ばしています。同時期、明治政府は、陸軍大尉2人をフランスに派遣しました。そのうちの一人徳川好敏は、日本人で初めてのパイロット免許取得者となります。彼が日本に持ち帰ったHENRI-FARMAN(アンリ・ファルマン)機は、1910年代々木練兵場上空を飛行し、当機をもとに日本人は最初の国産飛行機を製造します。こうして日本の航空産業の歴史が始まったのです

 

第一次世界大戦後どうなったのか?

フランス製戦闘機の快挙は日本に衝撃を与えました。フランス側は戦闘機の販売を望んでいましたが、まずパイロットの養成が必要でした。そして63人のフランス人パイロットとエンジニアで構成される「フォール使節団」が、航空機の製造とメンテナンスを教えるために日本に派遣されたのです。その結果、第二次世界大戦前夜、日本の航空学は世界の最先端をいくことになりました。

 

1945年という重要な時期、日本の航空産業は身動きのとれない状況に陥った。

1945年、日本における全ての航空活動が禁止されました。航空学の授業までもです!この禁止は1952年に解除され、戦後、日本製の航空機がいくつか誕生しました。YS-11、MU-2、FA-200、T-1、T-2などです。しかし、遅れを取り戻すことはできませんでした。私たちはBOEING(ボーイング)との提携に踏み切りました。そして2000年代初頭、国産民間航空機製造の再開を決めました。MRJ機です。しかし、その運用に必要な3者の(米国、日本、ヨーロッパ)認証取得に苦労しています。来年には取得しなければならないでしょう。軍用機よりも民間機を製造する方がややこしくないだろうと考えましたが、民間機は安全性が非常に重要です。私たちは海外の業界と協力しなければならないことに気づきました。

 

日本にとって、まずはアメリカとの関係が第一だろうが、欧州にはどのような役割が残されているのか?

確かに航空機に関して、ボーイングとの関係は非常に強いです。しかしAIRBUS(エアバス)もくい込んできています。特に近年格安航空会社への供給が増えています。また1967年の購入を最初とする、消防用エアバスヘリコプターの成功も忘れてはなりません。現在エアバスは、日本の民間ヘリコプター市場の55%を占めています。また、SJAC(日本航空宇宙工業会:日本側)とGIFAS(フランス航空宇宙工業会:フランス側)の専門家達が関係を強化してきました。特に超音速機技術の分野で連携を深めています。「ホライズン2020」プログラムの下でも、キャビンデザイン、エンジン、複合材、安全性の4つのテーマで日本は欧州産業界と協働して開発を進めてます。

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