空へ

Vers le ciel

航空と自動車――切っても切れない日本の産業分野

日産

東京の都心部から電車で30分、武蔵村山の中心にある広大な空き地。芝に覆われたこの13万平米に及ぶ敷地上空を、時折近くの横田基地から飛び立つ戦闘機F/A-18ホーネットが横切る。今から20年前、ここには日本製造業の花形たる日産自動車村山工場があった(2001年に閉鎖)。この地は、今なお日本を代表する主要産業であり続ける航空産業と自動車産業の歴史的な強い結びつきを物語る場所だ。最初に建設されたのは中島飛行機の生産工場。海軍技師中島知久平(1884~1949年)が1918年に創業した同名のグループは、操縦性に定評のあった戦闘機キ43「隼」を始めとする航空機を製造し、これを帝国軍に納入していた。戦後、中島グループは他の多くの財閥同様解体され、航空機の生産を禁じられた。そしてグループ傘下の富士重工業から自動車メーカーSUBARUが誕生する。一方、富士精密工業はプリンス自動車工業に改称、そのエンジンで名を馳せた。設計者はキ43のエンジン設計を担当した技師、中川良一(1913~1998年)。当時プリンス自動車の生産工場が置かれていたのがここ村山だった。プリンス自動車は、官民協調経済の範をフランスに求めた通商産業省(現在の経済産業省)事務次官、佐橋滋(1913~1993年)の働きかけを受け、同じく航空部門の歴史を有する日産自動車と1966年に合併する。日産グループの始まりは1920年代末、東京帝国大学卒の技師、鮎川義介(1880~1967年)による日本産業(時を置かず日産に改称)創設時にさかのぼる。

 

ホンダ

意欲と行動力に長ける鮎川のもとで同社は日産コンツェルンと称する財閥に成長し、1933年には日産自動車と名付けられた子会社を通じて自動車の生産事業を開始した。1930年代の日産は日本第4位の財閥で、いすゞ、NEC、日立など約10社に上る企業を経営し、帝国軍にトラックやエンジン、航空機などを納入していた。戦後には解体され、事業内容を自動車製造に一本化する。航空機と自動車製造の両輪を維持した財閥もあった。有能な技師、堀越二郎(1903~1982年)設計のA6M「零戦」製造で知られる三菱重工業は1970年に三菱自動車を設立、その一方で現在中距離用旅客機MRJの開発を進めている。同機は2019年のパリ航空ショーに登場する予定だ。ホンダは2017年以降、HA-420ホンダジェットを市場に投入し、世界の小型ビジネスジェット機部門で頭角を現している。ジェットエンジンを主翼に取り付けることで航空力学的特性を改善し、機内の振動と消費燃料を低減したこのホンダジェットは、1996年、技師として同じく優れた才能を発揮した藤野道格(ホンダエアクラフトカンパニーの現CEO)が不眠不休で開発した革命的なコンセプトである。

 

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